Item Number 12
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【上総海路】(かずさのかいじ)【上総海路(かずさのかいじ)】 現在の東京湾浦賀水道から描かれた絵です。
一見、帆に風をはらんだ大船を中央に描いただけの単純な絵に見えますが、これは佳作のひとつでもあります。
水平線を湾曲に描いて大海の広さを示したり、いかにも波静かな上総の海上から水平線と遠い浦廻をはるかに描き、その中央に富士山の姿が、ここより他のどこにも動かせない位置に描かれています。
あらためて富士山の存在感を感じさせてくれる、北斎の絶妙なセンスが随所にあらわれた作品です。
遠方に小さいながらも存在感を放つ富士山 当時の海運で使われていた弁才船の中で働く人が窓越しに見ることができます。
摺り師の絶妙なぼかしの技術で表現された画の際の空は先に広がる奥行きを感じます。
葛飾北斎(かつしか ほくさい) 宝暦10年(1760)〜嘉永2年(1849) 19歳の時、当時の似顔絵役者絵の第一人者だった勝川春章に弟子入りし、翌年、の画名で浮世絵界にデビューしました。
師の亡くなったあと、北斎は勝川派から離れ、京の琳派の流れをくむ俵屋宗理の名を継ぎ、町絵師として活動を始めました。
宗理として3年ほど活動し、北斎と名乗りはじめたのは38歳の頃。
40代後半に読本の挿絵の斬新な表現が評判となり、50代になると門人の数も増え、葛飾派として一派を作り上げるまでになります。
そして北斎の名を不動のものとした『富嶽三十六景』を手がけたのは、70歳を過ぎてからでした。
90歳の頃、「あと10年、いや5年あったら本当の画工になれるのに」という強烈な言葉を残しています。
富嶽三十六景題名のとおり、全図に富士山のある風景を描いたシリーズ物で、葛飾北斎の代表作にとどまらず、浮世絵風景画の代表作ともいわれています。
はじめ、三十六図が刊行されましたが、好評のため十図が追加され、計四十六図が刊行されました。
当初の三十六図を「表富士」、追加の十図を「裏富士」と呼びます。
富士山への篤い信仰は今と変わらず人々の間にあり、当時、集団で富士山に参拝する「富士講」が盛んに行われるなど、こうした社会背景のなかで北斎は『富嶽三十六景』を描き、爆発的ヒットとなりました。
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Shop Name | ショップ | Transit store |
Price | 商品価格 | 19,540円(税込み) |