Item Number 2
復刻版 浮世絵 手摺り 木版画二世瀬川富三郎の大岸蔵人の妻やどり木はこちらのページでお求めいただけます。
寛政六年五月、都座上演の「花菖蒲文禄曽我」登場する大岸蔵人の妻のやどり木を描いた作品です。
着物は朱赤であり、うちかけは黒地に紅白の菊の散らし模様で、いかにも派手。
これに比べて富三郎の顔は長く、眼は小さく、顎の骨は四角く張っていて、決して美しいとはいえません。
この顔と着衣とは釣り合ってはません。
しかし、それでいてこの絵に全体としての均衡がこわれている感じは全くないのです。
写楽は、女形は美しく描くべきであるとは考えてはいません。
舞台の上の役者、その芸、芸質をとらえることが意図で、そこに写楽の凄みを感じるのではないでしょうか。
二世瀬川富三郎は、三世瀬川菊之丞の弟子で、天明四年に富三郎を襲名しました。
一生師の菊之丞の芸を真似たといわれましたが、芸達者であり、その芸風から「にく富」「いや富」の愛称でも呼ばれていました。
文化元年三月に没しました。
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【二世瀬川富三郎の大岸蔵人の妻やどり木】【二世瀬川富三郎の大岸蔵人の妻やどり木】 寛政六年五月、都座上演の「花菖蒲文禄曽我」登場する大岸蔵人の妻のやどり木を描いた作品です。
着物は朱赤であり、うちかけは黒地に紅白の菊の散らし模様で、いかにも派手。
これに比べて富三郎の顔は長く、眼は小さく、顎の骨は四角く張っていて、決して美しいとはいえません。
この顔と着衣とは釣り合ってはません。
しかし、それでいてこの絵に全体としての均衡がこわれている感じは全くないのです。
写楽は、女形は美しく描くべきであるとは考えてはいません。
舞台の上の役者、その芸、芸質をとらえることが意図で、そこに写楽の凄みを感じるのではないでしょうか。
二世瀬川富三郎は、三世瀬川菊之丞の弟子で、天明四年に富三郎を襲名しました。
一生師の菊之丞の芸を真似たといわれましたが、芸達者であり、その芸風から「にく富」「いや富」の愛称でも呼ばれていました。
文化元年三月に没しました。
役者をよりリアルに表現した写楽ならではの表情です 艶やかな手元を彩る鮮やかな色使い 役者二世瀬川富三郎を表す家紋は「丸に七五三結綿に富の字」です。
東洲斎写楽を見出したのは,元祖出版プロデューサー蔦屋重三郎でした。
東洲斎写楽(とうしゅうさい しゃらく)生没年不詳寛政6年(1794)、浮世絵界に彗星のように登場し、わずか10ヶ月の作家活動の間に140数点もの浮世絵を世に送り出すと忽然と姿を消しました。
写楽は大判のしかも背景を高価な黒雲母摺という尋常ならぬデビューを果たしました。
版元の蔦屋重三郎は、歌麿が重三郎の専属を離れたのちに大々的に写楽を売り出しましたが、次第に大判が少なくなっていきます。
その理由として、写楽の人気役者であろうと美化せずに、ありのままを描きとる筆致は、役者ファンをはじめ当時の人々の好みに合わなかったからなのかもしれません。
しかし、どれも躍動感にあふれた役者絵は見る者に強烈なインパクトを与え、海外でも高い評価を得ています 東洲斎写楽選 東洲斎写楽 東洲斎写楽 写楽の作品が重んじられる理由のひとつに、その遺品が少ないということにあります。
また残念ながら写楽の芸術を理解し、認識したのは日本ではなく海外が先でした。
日本人が彼の作品を認めない間に、多くの作品は海外に流れ、その芸術が絶賛されたのです。
昭和18年、海外から持ち帰った松方コレクションが博物館に入り、その数も増した程度であり、こうした限られた少数の作品を復刻したのがこの40作品で、いずれも写楽の大傑作です
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Shop Name | ショップ | Transit store |
Price | 商品価格 | 10,190円(税込み) |